おい、俺たちホントに障害者なのか?

とある田舎の「発達障害者」による反逆

とある発達障害者、WEBサービスを開発する

発達障害者である/tmpは転職が上手くいかなかった。 お祈りメールの辛さで奥歯を噛みしめながらも、職場という地獄に行かなくてよかったという安堵感に包まれて、私はその後の数日を過ごしていた。


確かに、転職失敗そのものは残念なことではあった。 しかし、いつまでぐずっていても、何も始まらないこともまた確かである。 私は気を取り直して、WEBサービスの開発を始めることにした。 サウナにいる時も、畳で寝転がっている時も、頭の中で色々とWEBサービスのアイデアを出した。そして、最終的に二つのアイデアが残り、それを元に二つのWEBサービスを同時並行で開発することに決めた。


誰もさして気にかけてはいないだろうが、何を開発しているかをここで詳しく言うことはできない。 だが、大雑把に言うと、一つは全く人の役に立たず、すぐに完成するものであり、もう一つはそこそこ人の役に立つが、完成に長い時間を要するものである。


稼げるかどうかという観点では、意外に思われるかもしれないが、役に立たない後者のサービスの方が儲かるのではないかと私は考えている。 何故なら、こちらのサービスで扱っている題材は、現在その知名度がじわじわと人々の間に浸透しており、近い将来その革新性ゆえに広く社会に浸透するものであるからだ。 「それ」自体が素晴らしいのは間違いないのだが、「それ」に対する私のWEBサービスの切り口があまりまともではないので、たいして人の役には立たない。 それはともかくとしても、「それ」が普及するタイミングで私の財布もこのWEBサービスを通じて、潤うことになっている。 もちろん、これは完全に取らぬ狸の皮算用なので、諭吉一枚すらも稼げない可能性もある。


WEBサービスJavascript + React.jsで開発している。 もともとPythonは書いていたが、Javascriptは1,2カ月前に初めて書いたばかりだ。なかなか手こずる場面も多いのだが、何とかやっている。 React.jsも徐々に慣れてきた。 コストを抑えるために、データベースを使わない独自CMSを構築している最中である。


この二つのサービスでなんとか手持ち資金を増やして、田畑一枚を買おうと画策している。

発達障害とサウナ

近頃、ニート界隈はサウナの話題で盛り上がっている。 phaさんに触発されてサウナに行き始めている人も多いようだ。 発達障害者の私もサウナには数年前から足を運んでいた。 サウナには鬱的気分を軽減させる効用があると気付いたからだ。

ただ、その効用は、サウナが水風呂とセットになって初めてもたらされる。 たしかに、水風呂はちべたい。 声も出る。 顔もしかめてしまう。(浸かっても顔色一つ変えないオヤジたちの耐性は異常) 体温の急激な変化が血管や心臓を圧迫して、急死してしまうのではないかという恐怖も最初はある。 しかし、そこはぐっと我慢して、水風呂に入ろう。(もし、死んだとしても、それはそれで仕方ない。) もちろん、ぬるいシャワーで汗を流してからでもよい。 その後には至福の時が待っている。

私はサウナ→ぬるま湯シャワー→水風呂のルーティーンを大体3、4回やることにしている。 これをこなせば、体はとても軽くなる。 鬱的気分はマシになり、色々な心配事がどうでもよいという気分になる。 多分、上がったあとのビールも美味いのだろう。(私はビールを飲まない)

サウナのチケットは必ず金券ショップで入手する。 休日なら通常料金と300円くらい違う。 私のところは回数券だが、上場企業が運営している銭湯なら株主優待券もあるのではないだろうか。 (私の行く銭湯は、安いし、水もタダで飲めるし、それほど人も多くないので、ほとんど文句はないのだが、サウナ内にテレビが置いてある点だけが残念である。)

発達障害の人は様々なストレスから鬱病を併発するケースも少なくない。 もし、体に負担でないのなら、サウナでガス抜きも悪くないのではないだろうか。

とある発達障害者の面接

とある発達障害者の面接は、周りが思っているほど奇妙なものではない。 志望理由を聞かれ、やりたい仕事の内容を聞かれ、いつから働けるかを聞かれる。 普通の人の転職の面接とあまり変わらない。 あえて違うところを挙げるとすれば、長い期間のブランクについて根掘り葉掘り聞かれるところかもしれない。 しかし、ブランクだって、1年とか2年くらいのものであれば人によってはあるだろう。 私の場合は、6年ではあるのだが。


6年のブランクについて、説明するのはつらい。 というか、説明がつかない。 履歴書に書くことがないブランクというのは、夢追い人以外のケースでは、うつ病でも患っていたか、引きこもっていたくらいしか思い浮かばない。 もちろん、最近話題の「引きこもらない」ブランクもありうるかもしれないが、まだ世間様から見れば市民権を得た生活スタイルというわけでもない。 (というか、この先も市民権を得ることはないのだろう) 私の場合は、短期アルバイトで稼いでは海外旅行に行くことを繰り返したと言っておいた。 面接官は納得したようなしていないような顔をしていた。


私はそれほど面接は苦手ではない。 面接は多少堅苦しい雰囲気が続いても、志望理由とかをきちんと話せていれば問題ないからである。 面接官の方でも「まあ緊張していたのだろう」とか察してくれる。


私にとって、問題なのは採用後である。 私の堅苦しさはちょっとやそっとのものではない。 その一定で抑揚のない会話のトーンは、ともに会話をしている者を窒息させ、呼吸困難に陥らせる。 何とかその雰囲気を変えようと試みる勇者は、頑として調子を変えようとしない相手に恐れをなし、また苛立ちをおぼえ、その場を立ち去っていく。 このような調子では居場所を見つけることができないのは当然である。


それでも、私はまた職場という名の監獄に行かなければならないようだ。 幸か不幸か、現在、派遣エンジニアは未経験の発達障害者でも欲しがるほど足りていないらしい。

発達障害者が選ぶ「孤独と憂いに浸るためのモダンジャズ5選」

まず、お断りしておきたいのは、こんなタイトルだからといって、私がいつも下の5曲ばかり聞いて陰鬱になっているわけではないということです。 皆さんもご経験のように、その時々の気分によってどんなムードの曲が聞きたいかは変わります。 自分の場合ですと、割と体の調子が良い時にこの5曲を聞きたくなります。 逆に体の調子が悪い時に聞くと、さらに調子が悪くなりそうなので、そういう時はどちらかというと軽やかな曲調のものを聞きます。 皆さんもその時々の体調に合わせて、聞いてみるとよろしいかと思います。

ソニー・クラーク・トリオ “Softly as in A Morning Sunrise”

自分は「音学」には疎く、マイナーとかメジャーとかはよくわからないのだが、この人はマイナー調のジャズマンの代表みたいに見られている。 マイナーはメジャーよりも相対的に物悲しい曲が多いらしいが、この人はマイナーの曲をたくさん作ったようだ。 『マイナー・ミーティング』とか『ブルー・マイナー』とかのオリジナルはまだ聞いてないけど。 上の曲はジャズのスタンダード・ナンバー。 大方、孤独に浸れるのだが、途中でドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズがテンポをアップさせて、その部分ではノれてしまう。 その意味で完全に孤独と憂いに浸り切ることができる曲ではない。

カーティス・フラークインテット “Love Your Spell Is Everywhere”

他の曲はそうでもないのだが、この曲は出だしからもう哀愁が漂ってくる。 トロンボーンカーティス・フラーも良いんですけども、やっぱりトミー・フラナガン。 この人はバッキングに定評のあるピアニストですが、もうベースのソロの後ろで弾いているやつがもうね・・・ マイナー調のジャズの曲は日本の歌謡曲によく似ているらしいのですが、この曲が一番日本の歌謡曲の風味を出していると勝手に思ってます。 本当は、日本の歌謡曲界が哀愁漂うジャズの曲を真似たそうですけどね。

ポール・チェンバース・カルテット “Dear Old Stockholm”

自分は70枚くらいのジャズ中古アルバムを持っている。 げん玉でもらったTポイントを使ってネットショップで買ったり、ブックオフの500円コーナーで集めたものだ。 そのアルバム達の中で一番出演している枚数が多いのが、多分ポール・チェンバース。 とにかく、当時は引っ張りだこのベーシストだったようだ。 そのサイドマンがリーダーとなって出したのが、アルバム"Base on Top"。 そして、そこに収録されているこの曲。 多分、ケニー・バレルのギターの音がこの曲をより物悲しくさせている。 マイルスの"Dear Old Stockholm"よりも憂いに浸れること、間違いなし。

ローランド・カーク “Inflated Tear”

ローランド・カークは盲目のジャズマンだ。 一度に複数の楽器を演奏するという特異さから芸人っぽい扱いを受けていた時代もあったそうだ。 この曲にどのような思いが込められているか、音だけからでは知る由もないが、個人的に聞いていて何か一番泣きそうになってしまう曲。 あんまり自分は映画とか音楽とかで泣いたりするタチではないのだけれども。 孤独とか憂いというよりは、悲しみに溢れた曲という感じか。

セロニアス・モンク “‘Round Midnight”

言わずとしれたジャズ界最大の奇人、セロニアス・モンク。 リズムもメロディも他のジャズマンとは違いすぎているので、音楽的にも浮いている。 特に、この曲が入っているアルバム"Thelonious Himself"はピアノソロで、他の楽器が入ったものよりもモンク臭をたっぷりと堪能できる。 どの曲でも大体臭ってくるのだが、スタンダードナンバーとなり、最も有名だと思われるこの曲を選んでみた。 とにかくノれる要素が全く無く、陰鬱な気分にしかならない。

ま、こんな感じで皆さん素敵な憂鬱ライフを送って行きましょう。

発達障害者と背広

今日、数年ぶりにスーツを着た。

重い。 まるで戦国時代の武士が身にまとった鎧のようだ。 こんなにも重く、窮屈なものだったのかといまさらながら思う。 新卒のあの頃はいくらか希望に満ちていて、そんなことは頭になかったのかもしれない。 しかし、今は違う。 この姿形を変えた「戦国時代」の世に私は再び出ていかなければならない。 そんな世が、お花畑で皆が楽しそうに踊っている世界へと急に変わればいいのに、と叶うはずもない願望を抱く。 梅雨の気候も手伝って、私の気持ちはいくらか沈んでいる。

他方で、少し何かを期待している自分もいる。

カネ無し、職無しのニートから脱して、世間的に見てそこそこまっとうな暮らしができるのではないか。 カネがそこそこ貯まれば、また何か色々と楽しめるのではないか。 そんな思いが私の頭をよぎる。 まだ、就職先も決まっていないにも関わらず、である。

右足の親指がズキズキと痛む。 時には足を引きずって歩かなければならないほどである。 来るかもしれない日常への精神的な不安は、不思議とそれほどない。 もしかすると、その不安は私の指の痛みへと形を変えているのかもしれない。

面接は来週から始まるみたいだ。

一度目の生存報告

私はとある片田舎に暮らしています。 こんな田舎にも様々な社会が存在しています。 そこに属する人々は日々あれやこれやと忙しそうに動き回っているようです。 今、私はそれをただ眺めているだけの傍観者です。 傍観者たる私はどの社会にも属せず、順応することを不得手としています。 世間的には発達障害の一種に分類されるのかもしれません。 とはいえ、まだ診断名をお医者様から頂戴したわけではありません。


Twitterやブログを巡回していると、巷では「発達障害」というワードをよく見かけます。 近頃は、テレビでもよく発達障害の特集を組むようになったようです。 これを見ると、発達障害に苦しんでいる人々は少なくないのかもしれません。 私は、比較的環境に恵まれているせいか、まだ「症状」が軽いためか、「苦しくて苦しくてしかたがない」というわけではありません。 まあ、悩んでいるといった具合でしょうか。


しかし、そんな私であっても、身の回りの雰囲気がじわりと変わってきたことを感じています。 端的に言えば、周囲からの圧力が強くなってきたということです。 実家住み、職無しの三十路前の男への風当たりも、これまではほぼ無風状態であったわけですが、さすがに涼しさを肌に感じるくらいにはなってきました。 嵐が吹く前に、さすがの私も動き出さなければならないようです。


私は、京大卒の元「日本一のニート」や片田舎で畑を耕す哲学者に憧れを抱きながらも(彼らはそれぞれに環境に適応されているので、発達障害ではないにちがいないのだが)、とりあえず職を探し、働きます。 ついでにこの長年住みついた実家から出て、この広い世界に羽ばたこうかとも思っています。 ただ、私の前には、まともな職にありつけるのか、はたして独りで食っていけるのか、そういう問題が横たわっています。 そんな問題は、資産家の子息でもない限り、誰もが直面する問題ですが、とりわけ発達障害に悩む私にとっては大きな壁として立ちはだかっています。


数年後、私はどこかに居心地の良い場所を見つけているのでしょうか、それともどこかの公園で独り寂しく生きているだけなのでしょうか。 ただ、どのような状況にあっても、私は自らの生存報告を World Wide Web に載せ続ける次第であります。